2008/09/04/Thu
現実に背を向ける分だけ、「前」が見えなくなる背景
私たちの生活の中には、現実に背を向けたくなるようなつらいことや悲しいことがあります。痛々しい、おぞましいなど、それらすべては目を閉じてしまえば見えなくなります。
話は少し外れますが、私にとって目を閉じたくなるときというのがよくテレビとかでやっている手術のシーンや大怪我のシーンですね。とくにメスを握って体の中の一部を切っているシーンなんて、なぜだかアキレス腱あたりが痛くなるのです。だから私に一番向いていない職業は医者だと、そんな目を閉じたくなるシーンを見ながら横で一緒に見ている妻にそう言うのです。(勉強不足なので医者にはなれませんけどね。笑!)
話を戻して私たちは何もしなくても前にある未来に向かって歩いています。命さえあれば、目の前にある現実を見ないで生きても、ちゃんとなんらかの未来があります。ただ、現在をどのように生きるのかでその未来が変わってきます。
どうせ未来に向かって歩いているのならちゃんと前を見ませんか。がんばって目を開けて見ていた分だけ、前には”いい”未来があるはずです。
今は苦しくても、先はちゃんとあるのですから。ようは、その先がどんなものになるかです。
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2008/08/09/Sat
シアワセってどこにあるって?
当たり前のことの中にあるんだよ背景
誰もがシアワセになりたいですよね。そもそも、シアワセって何?と自分の子供に聞かれたら何と答えますか?誰かが勝手に作り上げたシアワセを”シアワセ”だと説明していませんか?
私だったらこう答えます。シアワセは毎日の中にある当たり前のことのなかにある。当たり前のように息を吸い、当たり前のように食卓に並べられた料理を食べ、当たり前のように友達ととりとめのない会話をし、当たり前のようにベットに入り眠りにつく。そんな何も特別ではない当たり前の中にあるんですよ、シアワセは!
当たり前のことが当たり前でなくなって人は初めて、シアワセが何かとわかるのです。当たり前でなくなったときにやっと「シアワセ」だったことに気づく、そうやって考えてみると私たち人類は昔からちゃんと学習して進化しているのでしょうか?なんか同じ事を繰り返しているように感じるのは私だけでしょうか?
当たり前の中にシアワセはあるんですよ。
それ以上でもなく、それ以下でもなく。
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2008/05/20/Tue
自分のことを正してくれない人が
周りにいないことは不幸だ関連コトバ
外見道先直し人のいる、いない人生 背景
前回は「外見」の話でした。「中身が大事なんだ、外見なんてどんなもでもかまわない」と豪語する彼。たしかにそれはそうだが会った人に不快感を与える服装ではいけないと思いつつ彼の話を黙って聞く私。そこで考えてみたコトバが上のコトバです。
相手の言っていることをそれはちがうよと言うことにはリスクつきものです。せっかく今まで築き上げてきた信頼関係がその一言で一瞬にして崩れ去る可能性だってあります。今回の話は私と彼との信頼関係の崩壊が問題なのではなくて、仮に私が彼にそれはちがうよと言ったとしても彼はきっと自分が正しいと言い張るに違いないと思ったからです。
無理に自分の意見を押し付けることは私はしません。押しつけるということは少なからず相手に小さな敗北感を与えてしまうこともあるからです。彼はプライドの高い人。きっと彼は逆に切れていたかもしれませんね。
そんなプライドの高い彼の性格を知っているからでしょうか、周りの友達は彼の言っていることを、それはちがうよとはいいません。それって不幸なことだと思いませんか。
その理由は明日につづきます。
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2008/04/25/Fri
愚痴ばかり言うことは、
自分は不幸せだと宣言しているのと同じよく似たコトバ
幸せも、不幸せも不幸せの味背景
「愛」同様「幸せ」も私にとってはその答えを見つたいテーマ。さて、今回は不幸せについて。
ストレスを発散させるためには愚痴をこぼすことも大事なストレス発散方法です。だから愚痴を言うことが完全に悪いとは言えません。けれども、愚痴から生まれてくるものは何もないのですよ。そのことを忘れないでください。
ただ、限度を超えて愚痴ばかり言っているのはどうでしょう?それはいただけないですよね。愚痴を言っている本人は気づかないかもしれませんが、実はそれは「自分が不幸だ」といっているのと同じなんですよね。
はたして、「自分はこんなに不幸せなんだ/不幸せなのよ」といっている人に近寄ってくるでしょうか。私だったら遠慮させてもらいます。
せっかくだから幸せな気分になれる人のところに行って、少しでも自分もそんな幸せを少しでももらいたいと願いますよね。少しでも、ほんの少しでいいからと願うのは人のココロなのではないでしょうか。
一番いいのは、「自分は幸せなんだ」と言えることですよね。言えないのなら、すこし愚痴を減らしてみてはいかがでしょうか、そうすると少しは幸せに近づけるとはずですよ。
幸せになりましょうよ、幸せに!最後まで読んでくれた人、ここを押してください。
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2008/04/03/Thu
人生には魔法のじゅうたんなんてない。
一歩ずつ、一歩ずつ
ただ、歩くことだけがしかできないのである。関連記事
ひとつづつ、一つづつ背景
目的に簡単でかつ楽に到達できるたらいいなとたまに考える私。さて、今回はちょと人生について考えてみました。
まず、ぴゅーと望むところへ飛べる魔法のじゅうたんがあったらいいなと思いませんか?そんな魔法のじゅうたんに乗っていれば、自分は疲れないし、汗もかかないし、つらいと思うことなんてありません。
そんな魔法のじゅうたんがあったら、どれだけ人生って楽でしょうね。あっという間に夢がかなってしまいますよね。でも、それは夢の中の話。
私たちは楽しいこと、うれしいこともありますが、どちらかと言えば厳して、つらいことのほうが多い現実に生きています。魔法のじゅうたんに乗りたい考えるということは、今の現実から離れたいと願っている証拠。だめですよ、この世の中には魔法のじゅうたんなんてありません。(笑!)
夢をかなえたいのなら、一歩、一歩、自分の足で歩いていかないと。そのスピードの遅さに苛立ちを覚えるかもしれませんが、あなただけがそうではないのです。右の人も、左の人も同じなのです。
ちまちまと歩いているのです。それでいいのです。魔法のじゅうたんに乗っていたために、地上にあるすばらしいものに触れる事ができないことだったあるのですから。
一歩ずつ、一歩ずつ 歩いていきましょうよ。最後まで読んでくれた人、ここを押してください。
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