2008/09/02/Tue
あなたという太陽がいるから私は陰になれる背景
おかげさまのかげは陰とは書かず
蔭と書きますが。それを知った上でコトバを創ってみました。
このお蔭様って、日本語のいいコトバですよね。
辞書で意味を調べてみると
(1)「おかげ」を丁寧に言う語。
「―でよくわかりました」
(2)漠然とした感謝の気持ちを表す語。ありがたいことに。多く挨拶の語として用いる。
「―で無事に帰って参りました」「『御両親は御健在ですか』『はい、―で』」
引用:
三省堂提供「大辞林 第二版」より日本人は挨拶の段階から感謝をしていたんですね。すごい民族だ。
さて、次は陰についてです。
陰は太陽や光がないと出来ません。陰にはちょっと暗いイメージがあります。例えば、「陰った声」には陰気さや、「陰で支える」といった表面に出てこないという意味があります。
逆に太陽(陽)は、表に出ていい意味をもっています。だれでも陰にいるよりは日の当たる所にいたいですよね。しかしみんな表(太陽)に出続けることは出来ないのです。
これは陰と陽の関係ですよね。太陽という存在があって陰があり、陰の存在があって太陽がある。同じことが人にも言えるのではないでしょうかね。自分という存在があって他人(自分でない人)がいる、他人がいて自分がいる。(そうだ、これなんだ!自分で書いて発見!笑!)
そうあなたという太陽がいないと私は陰になれない。だからお蔭さまなのです。
でも、忘れないでください。私が陰だからあなたは太陽なのだと。
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2008/08/07/Thu
幸せは過去形ではなく現在形で背景
「あの頃は幸せだったな」、「昔は良かったな」とつい口に出してしまうことはないですか?「幸せだったのは昔だけのことなの?」ときかれたらどう答えます?「今は、ちょっと」と急に口が重くなったりしませんか?
人はつらかったことや苦しかったことよりもうれしかった楽しかったという過去を大切にしますし、記憶に残っているのはどちらといえばそんな楽しかった過去のほうです。だから幸せは過去にあったと思ってしまうかもしれませんが、実は目の前にちゃんと幸せはあるのです。
毎日次々と現れる無理難題に押しつぶされそうになっていませんか?幸せが見えなくなっていませんか?「あの頃は幸せだった」と語るよりも「今も幸せだよ」と口に出せるようになりたいものですね。
ちなみに私は「今も幸せです。」 なんせソウスケが私のひとつの幸せになっているるものですから。
幸せは過去形ではなく現在形で語りましょうよ!最後まで読んでくれた人、ここを押してください。
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2008/07/31/Thu
気分には負けてもいいいかもしれないけど、
意思には負けない。背景
このコトバはNHKの朝の連続ドラマ「瞳」の中でショウタ君が、主人公の瞳を励ますために言った言葉です。おっと私のココロに響いたのでUPします。
たしかに、人は気分によって行動が変わってきます。この35度の暑さ、精神的なつらさやだるさといった気分を悪くする原因は外にはたくさんあります。でもどうでしょう?意思を変えてしまう原因は外にあるでしょうか?
追伸:あるように見えて、実は自分の内にあるのだと私は思います。自分の内でしっかりと意思を守っていれば、行動は変わらないはず。
行動は意思から生まれ、意思は行動を育てるそんな風に考えた一言でした。
毎日、私のところでは35度の暑さが続いています。これが夏なのでしょう。夏だから暑いと思って一日を過ごしてみましょう。
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2008/07/25/Fri
幸せは身の近くにある背景
幸せって、何なのでしょう?良い学校に入れて、いい会社に入って、いい家庭を築くことだけなのでしょうか。たしかに、それも幸せの一つではありますが、それは本人よりも親にとっての幸せなのでは?
私のとっての最近の一番の幸せは、やはりソウスケですかね。ソウスケを見ているだけでとても幸せになります。特に朝、仕事に行く前にほっぺに行って来ますのチューをするのですが、その意味が分かってかどうかソウスケは、にっこりと口元を緩めます。それを見るだけで、やる気が2倍にも3倍にも膨れ上がります。
子供をもつということはなかなかできませんが、私が言いたいのは幸せというのは決して自分の遠くにあるものではなくて、自分(身)の近くにあるものだということです。
私の幸せは、そんなたいそうなことではありません。誰もが、私と同じように感じることばかりです。ただ、私の場合はそれをすぐに幸せだと感じるだけです。(笑!)
例えば、友達とご飯を食べに行ったときも、幸せだと感じます。そしてそのときには、上手いの代わりに幸せと言います。めったに会えない友達と一緒においしいものを食べる。まさに、幸せですよ。
ただし、こう思うものだから「悩みがない人」に見えるゆえんだと思います。私にも一応、悩みはあります。けれども、悩みがあってもそんなことで死にはしないとだからそれほど重要なことではないと割り切って生きています。悩んでいる分だけ、幸せと感じることが出来なそうなので。
幸せが近すぎて見つけられないのか、それともみんなが遠くを見ろ遠くを見ろと言うから見つけられないのか。
本当は、幸せは身の近くにあるはずなんですよ最後まで読んでくれた人、ここを押してください。
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2008/04/28/Mon
昨日はいっぱい生きた
今日もまたいっぱい生きた
明日はもっといっぱい生きるよく似たコトバ
生きることは、生まれて生きる青年の生き方背景
毎日ブログを更新することはやはりしんどいですよね。毎日、ちゃんと更新している人(例えば
今日もきらめいてのマホさん)を尊敬しますよ。今月はブログ完全を狙っていきます。皆勤賞です。さて、今回は今日のコトバは何にしようかとお風呂場の中で考えて出てきたコトバです。(わずか10分でこの文、全部書けました。進歩している証拠か!笑 )
私たちは生きています。その証拠にこの文を読んでいます。けれでも重要なのはただ生きたのではなく、どう生きたかなのではないでしょうか。
人は昨日、今日といっぱいに生きていると。まさにいっぱいいっぱいで人のことについてどうこういっている余裕なんてありません。いっぱいに生きていると後悔なんてひょっとすると出来ないのかもしれませんね。自分のことで本当はいっぱいいぱいなのです。
では、私はどうなのでしょう。いっぱい生きているのでしょうか?この質問に対して答えるのは容易ではありません。でも、後悔と共には生きていません。ということはいっぱい生きているのか?ん〜〜。
もしそうだったら、昨日も今日もいっぱい生きたのなら、明日はもっといっぱい生きたいものです。そして最後にはいっぱいの人生にしたいですね。
みなさんはどうですか?いっぱい生きていますか?最後まで読んでくれた人、ここを押してください。
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